
香港の歴史 |
19世紀初頭まで、香港は人口5,000人程度の漁村でしたが、1842年のアヘン戦争(1840〜42)と第二次アヘン戦争(1857〜58)で清が英国に負け、香港島と九龍半島が永久割譲されました。さらに1898年には、新界と離島地区が99年の租借地として英国の統治下に入りました。
1941年の12月25日から第二次世界大戦の間3年8ヶ月にわたり、大日本帝国軍が香港を占領統治しました。その間に香港の人たちが受けた過酷な弾圧や物資の奪取は、忘れられない歴史として今も語り継がれています。1945年、日本の敗戦で香港は再び英国の統治となりました。1948年に国共内戦を経て、中華人民共和国が誕生。その後の文化大革命に至るまで、香港には数多くの難民が流入します。その結果、新たな産業が数多く生まれ、軽工業の中心地として発展します。特に、「香港フラワー」と呼ばれる精巧な造花は有名で、李嘉誠などの世界的富豪を輩出しました。
1960年台以降はインフラの整備が充実し、70年台には初等教育の無料化、75年には地下鉄が開通しました。しかし99年の租借期限が終わりに近づくにつれ、人々の間に不安が広まりました。英国のサッチャー首相と中国のケ小平氏との間で1984年、中英共同宣言が調印され、1997年7月1日を持って、租借地のみならず、香港の全領土を中国に返還することが決まりました。
返還の式典には江沢民国家主席やチャールズ皇太子が出席。「中華人民共和国香港特別行政地区」が誕生しました。その「基本法」には50年の間、政治経済において香港の方針を変更しないことが謳われ、体制の違う中国と香港が「一国二制度」を守っています。2002年に中国が世界貿易機関(WTO)に加盟。その翌年、中国と香港の経済貿易緊密化協定(CEPA)が結ばれるなど、両地域の融合が進み、香港が従来果たしていた「中国への窓口」という役割は薄れつつあります。しかしアジアの金融都市として、また華南経済圏の貿易中継拠点としての、確固とした地位に変わりはありません。
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